落ち穂ひろいmini★majo

más majo que las pesetas = muy simpático o agradable.

 最初に más majo que las pesetas が登場する場面をご覧ください。意味は上の通りですし、以下の台詞も難しいことは何もありません。欲を言うと何故 las pesetas が比較の対象になるのか、その由来が知りたいところですね。この点については今後の課題とさせていただきます。

– En resumidas cuentas, Menchu, fuiste al baño y te quedaste encerrada.
– Encerradísima. Menos mal que José Antonio, más majo que las pesetas, me abrió.
– ¿Y dónde fuiste al salir?
– ¿Adónde voy a ir? A trabajar.

– “4 ESTRELLAS” T1- E043 (27:03)

 話は飛躍します。先日、都内の古本屋さんで新大陸発見500周年に当たる1992年に合わせて発行されたであろうラテンアメリカやスペイン関連の書籍が特価本コーナーに数多く並んでいるのを見て驚きました。恐らく私と同学の方の旧蔵書の一部なのでしょう、そのほとんどが私も所有するものでした。
 そんな私もそろそろ断捨離を真剣に考えねばならない年齢に達しました。私がいなくなったら、ただの紙ごみになってしまうだろうこれらの本の運命を想像すると気が沈みます。
 さてさて、感傷的になってばかりはいられません。今回は先日の古本屋さんでも見かけた一冊から majo, ja に関する箇所を引用させていただきます。ご参考になさってください。

 1700年来、フランス文化の流入によって、スペインの上流階級の服装もフランス風になった。男たちは後世俗にナポレオン帽子と呼ばれるものをかぶり、女性のスカートも絹かビロードになった。女性は帽子の代わりにマンティーリアmantilla というショールを頭からかぶり、扇子を手にオツにきめ込んだ。
 これに反感をもったのが下層階級の男女である。下層階級の男たちは鍔広の帽子 chambergo をかぶり、顔まで覆い隠すマントを羽織った。女たちは髪に異様に大きな櫛、ときには櫛の高さが40~50センチにも達するものをさし、扇子を片手に、豊かな胸元をこれ見よがしにしたルーズな着物をまとって、上流階級のフランスかぶれに対抗した。
 こういう連中をマホ majo (男)、マハ maja (女)と呼んだ。小粋なあんちゃん、姐ちゃんの意味である。1766年、カルロス3世の寵臣エスキラーチェが鍔広帽子とマントの着用を禁じたところ、たちまち暴動が起き、エスキラーチェは失脚した。マハの服装は、その後、上流夫人階級にも浸透し、好んでマハの格好をして夜会に出た。
 マンティーリアは元来がメキシコ女性が愛用したものである。これを本国に持ち込んだのは新世界生まれのクリオーリャ criolla と呼ばれる富裕なスペイン人女性である。当時、メキシコ帰りは身持ちが悪いことで知られていた。彼女たちはこのマンティーリアを謹しみ深さのしるしとしてではなく、人に顔を見られないようにするために愛用した。気分によってアバズレ女に変身できるこのファッションはたちまち庶民のあいだにひろがり、秘密の情事を茶飯事とする上流夫人に浸透した。
¡Maja! という呼びかけは「よう、よう」「よう、姐ちゃん」の意味。下町ではよく耳にする。

中丸 明『スペインを読む事典』(JICC出版局、1992)231頁