読書録 2022年9月6日

 今回も司馬遼太郎さんの『街道をゆく』シリーズです。バイトに出かける移動時間中に読もうと手にして歩くのが同氏の文庫というのが私の中のお決まりになっているのですが、この文庫本も40年以上愛蔵している一冊です。表紙も裏表紙もとれてしまっている(酸性紙ですから、その傷み具合をご想像ください)ためにブックカバーで保護しながら書を捨てないで街に出ています(こんなキャッチ紛い、理解できるのは私と同世代の方のみでしょうね)。
 今回は竹富島。この島は私の中では一、二を争うお気に入りの島ですが、同書からの引用は今回が初めてではないので、記録するのをためらいました。ただ、出会った(再会した)ときが吉日と思い直して、繰り返しになりますが、本日の一節という意味合いで引用させていただきます。
 また、翌月に予定されていた沖縄業務のご依頼を数年前からお引き受けしていたにもかかわらず、ある理由でこの春にお断りしたことも心の片隅にわだかまりとして残っていたから下記の一節に反応してしまったのかもしれません。それほど竹富島には愛着があります。能書きはこれくらいにしておきます。

 われわれは、歩きだした。
 繰りかえしいうが、立札一つ人工の物の無い真っ自然の中である。むろんこの自然は放置されてそうなのではなく、竹富島のひとびとの文化意識によってこのようになっている。
 竹富島では、島民の申し合わせによって、旅館・ホテルのたぐいは許されない。この島を訪ねる者は、住民の住まいに民宿するという規定になっている。私どもが予約した高那旅館も、やや専門化した民宿であった。ついでながら、浜でキャンプすることも許されない。すべての来訪者を民宿させることによって、住民の暮らしを潤わせるためである。
 むろん、廉い宿泊料しかとらないから大した潤いにはならないが、それでもこの取り決めによって、いま沖縄の島々の土地を、札束で頬をたたくようにして買い占めつつある本土の観光資本を辛うじて防ぎとめているのである。
 竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。

-司馬遼太郎 『街道をゆく 6 – 沖縄・先島への道』(朝日新聞社 昭和53年12月20日 第一刷発行 90-91頁)

 上の文書は、『週刊朝日』1974年6月21日号~11月5日号に掲載された連載記事の一編ですので、半世紀程前の状況です。現在とは異なる点も多々あります。
 例えば、現在は同島に星野リゾート「星のや竹富島」という素敵な宿があります。数年前にある政府機関の招聘により来島したスペインのジャーナリストをご案内する機会があり、内覧させていただく機会に恵まれました。このときは残念ながら、宮古島のリゾートホテルでの宿泊だったために、星のやさんには一泊することはかないませんでしたが、ご案内してくださったホテルスタッフの心地よい説明はいまだに覚えています。また訪ねてみたい、と思わせてくれる対応というのは誰でもできるものではないかもしれませんが、少なくとも数ある星野リゾートの中でも私の中では心温まる宿の一つでもありますので、敢えてご紹介させていただきました。

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