胎内巡り

 終戦の日。一年ぶりに松本美江さんの『英語でガイドする日本~海外ゲストが行きたい西日本の名所』(ジャパンタイムズ)の音読練習を終えたところです。
 コロナ禍だからというわけではないのですが、音読練習を怠っていたものですから、お盆休みは少し挽回しておこうと思い立ったのです。
 久々だったこともあって記述内容も新鮮に感じましたが、清水寺の随求堂の「胎内巡り」の項を読みながら、そういえばずっと敬遠していたことを思い出したのです。
 これには理由がありまして、我が家の家族通信「竹の子」で確認したところ、2010年7月9日のちょっとした出来事の記録を見つけました。高校生対象の大学進学ガイダンスのために平戸出張時のことですが、今回はこのほろ苦い思い出のご紹介です。私のドジぶりは今日昨日始まったのではない証左にもなりますので、ご笑覧いただければと思います。なお記事中のデータや感想は当時のものですので、ご容赦ください、念のために明記させていただきます。

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(前略)
 さて、7月9日は午後1時半に宿泊先の旗松亭に着きました。荷物を預けて市内観光です。平戸はこれまで5年間高校訪問で通過をしている土地です。猶興館高校のすぐ目の前にある平戸城を始め、聖フランシスコ・ザビエル記念教会、松浦史料博物館、最教寺三重大塔等を見学しました。
 天候にも恵まれたので、比較的のんびり散策を楽しむことができたのですが、三重大塔でハプニングです。地下一層の「胎蔵界巡り」をしようと左手を壁に這わせながら暗闇の中を進んでいたら突然目に火花です。あっという間に鼻血が流れだしました。すぐに地上階に出て案内所の女性に助けを求めたのですが、出血が止まらず案内の方が救急車を呼んでくださいました。救急車を待つ間も出血が続き、ハンカチといただいたタオルが血染めになりました。仕事の直前だったのと、救急隊からいただいた三角巾で急場をしのぐことができそうだと判断したので、病院への搬送は遠慮しました。ということで、案内の方に宿泊先まで送っていただいて、血で汚れたワイシャツと下着を着替えたあとタクシーで平戸文化センターに向かいました。開始時刻の4時ちょうどに会場入りをして業務にはさほど支障はなかったのですが、トイレで鼻血の手当をしながらとなりました。ティッシュを鼻に詰めての説明だったので、高校生も聞き苦しかったと思います。
 ところで、三重大塔は9月末まで改修工事ということで防護幕に覆われていたためその雄姿を見ることができなかったのです。いつか再訪したいと思います。
 7月9日は忘れられない一日となりそうですが、この日は仕事の後夕食も取らずにベッドに横になりました。気がついたときには午後11時半前、慌てて大浴場でその日の汗を流しました。折角温泉宿に泊まっているのに、室内の浴槽では味気がないのですから、午前零時までの入浴時間ぎりぎりまで温泉に浸かりました。
 翌朝は午前5時過ぎに目が覚めたので露天で朝風呂です。久しぶりの温泉だったのですが、前日の怪我が少々痛むのでさほどゆったりできたとは言えません。6時45分からの朝食(バイキング)を済ませてからホテル近辺を散歩しました。崎方公園を通って三浦按針の墓参りです。
 8時前にチェックアウト。平戸桟橋から特急バスに乗って佐世保BCへ、させぼ号、いとうづ号に乗り継いで帰宅しました。本来なら職場に直行ということになるのですが、汚れたスラックスのままでは格好も悪いので、着替えをしてから職場に入りました。
 片道5時間(乗り継ぎのための待ち時間除く)のバス旅行となりましたが、意外と快適だったので次回もバスで出張しようと思っています。
 お土産ですが、自宅用とF先生用にもりちょう(菓秀苑 森長)の「びわゼリー(6個入り)」を1箱ずつ、職場用に「らん・プティ(6個入り)」2箱を佐世保BCの売店で購入です。備忘のために記録しておきます。F先生には以前ネクタイの綻びを繕っていただいたことがあり、いつかお礼をせねばと思いながら過ごしてしまったので、お孫さんと一緒に召し上がっていただけるようにゼリーにしたのです。
 因みに平戸城と松浦史料博物館の入場料ですが、SUNQパスの呈示で10%割引の特典があったことも記録しておきます。
 宿泊した旗松亭ですが、正直がっかりしました。ビジネスプランということで景色は期待していなかったのですが、調度品も設備も使い古しを集めた部屋としか言いようがありません。ビジネスホテルの方が小奇麗だということを老舗はご存知ないようです。テレビ一つにしてもHPで示している代物とは全く異なり誇大広告としか言いようがありません。また、大浴場にしてもシャワーホースが黒カビに覆われていました。このようなホテルがその地を代表する旅館だとしたら平戸は観光地としては失格ではないでしょうか。あの程度の宿泊施設ではリピーターはないのではないでしょうか。次回平戸に宿泊することになるとしたら近隣のビジネスホテルにしようと思います。
 それでは、久しぶりにHP「よかとこBY」に平戸の名所を紹介してもらいましょう。

最教寺

 最教寺は真言宗智山派のお寺です。1607年に第26代平戸藩主 鎮信公によって建立され「西の高野山」と呼ばれています。建立以前は、真言宗の寺があったといわれ、また 弘法大師が唐より帰朝のおり護摩を焚いたと伝えられています。
 奥の院に通じる 参道には苔むした石仏がならぶ真言宗の霊場で、2月の節分の日に行われる「子泣き相撲」で有名です。この「子泣き相撲」は江戸時代、平戸藩主を悩ませていた亡霊を赤ん坊の泣き声が退散させたことが起源とされています。
 平成元年には日本最大の三重の塔が奥の院にでき、霊宝館には鎮信公(平戸藩主第26代)寄進の文化財を中心に国の重要文化財である絹本着色仏涅槃図や釈迦誕生図、十六羅漢図、釈迦涅槃像などがあり、見ごたえがあります。
 なお、九州には三重の塔が4塔あり、この最教寺と大分県臼杵市の龍原寺、福岡県瀬高町の清水寺 、福岡県みやこ町の豊前国分寺跡にあります。

幸 橋
・形式:石造単アーチ橋
・橋長:19.26m
・幅員:5.12m
・完成:元禄15年(1702年)
 別名オランダ橋と言われ、平戸藩主雄香公が平戸の石工達に造らせたものである。
 平戸がオランダとの貿易港として栄えた頃の石造り技術を継承したものとして重要な遺構であり、国の重要文化財の指定を受けている。
 橋のそばには幸橋御門が建っている。これは正徳5年(1715)に亀岡城再築城のおりに造られたものを1984年に復元したものである。
 また、橋のそばには川内港から引き上げられた鋼鉄製のオランダ船の錨と宮の浦港から引き上げられた長石の中国船の錨が展示されている。

平戸城
 平戸城(別名:亀岡城)平戸藩主松浦30代雄香公棟により宝永4年(1707年)の築城によるもので、山鹿流の縄張り設計による日本唯一の平山城である。
 明治4年の廃城まで藩主の居城であったが、その後は荒廃し、わずかに北虎口門と狸櫓が残っていた。それを昭和35年から天守閣を始め、各櫓の復元に着手し昭和37年に完成したのが現在の城である。天守閣内部には国の重要文化財に指定されている『環頭の太刀』や松浦藩資料や武具、隠れキリシタン資料などが展示されている。
・営業時間 : 8時30分~17時30分
・休業日 : 特定日以外は無休
・入場料 : 大人500円、こども200円

松浦史料博物館
 平戸桟橋の山の手に高い石垣と堂々たる風格の屋敷があります。ここは旧藩主松浦家の本邸であった家ですが、今は「松浦史料博物館」となっています。
 松浦家に伝わる秘蔵品3万余点の内、約200点を展示しています。秀吉の切支丹禁制文や南蛮貿易で得た品々、茶道などの品などがあります。
 又、庭には鎮信流の草庵式茶室、閑雲亭があり、希望すればお茶をいただけるようです。
 また、この「松浦史料博物館」の入口の近くに手を浸ける「手湯」と足を浸ける「足湯」がありました。ちょっと、靴下を脱いだりするのが面倒なのですが、足を温めると気持ちいいですよ。足の疲れが取れます。体全体がホカホカするのが不思議です。
・ 開館時間 8:00~17:30 (12月は16:30分まで)

家族通信「竹の子」第123号(2010年7月15日発行)

2010年7月9日・10日 平戸(長崎)