母の誕生日

 済州市から車にのった。運転手さんが、
「海女(ヘーニョ)ですか。いま村に残っているのは年とった人が多いですね」
 と、いった。いまでは中学を出ると、たいてい高等学校へゆく。そういうあたりは日本とかわらない。せっかく習い事が身につく年齢に高校へ行ってしまえば、もはやとりかえしがつかないのである。高校を出れば進学するか他の職業につくため、海村にうまれても海女(あま)にならない娘がふえてきた、という。
 いまの文明には、ばかげたところがある。
 学校を濫立して、こどもたちをその檻に入れ、どの檻が上等で、どの檻が下等かと区別している。社会も両親もこどもたちをどんどん追いたてて等級差の檻に入れ、自他を区別づけることによって、社会意識として安堵している。身分制のない社会になると、広場恐怖症のネズミのような心理におちいって、右のような檻をつくることで(動物園ならありえないことだが)一種の身分的住みわけをやっているらしい。日本はすでにそうなってしまったが、韓国もメンタリティの似た社会だけに、それに近い状態になっているようである。
 要するに、海女の後継者がすくなくなっているという。

-司馬遼太郎 『街道をゆく 28 – 耽羅紀行』(朝日新聞社 昭和61年11月30日 第一刷発行 373頁)

 相変わらず司馬遼太郎さんの『街道をゆく』中心の読書が続いています。上の文章は35年以上も前に発表されたものです。今の日本の状況にも重なる気がしますが、いかがでしょうか。
 久しぶりの連休。連休前日の業務終了後にコロナワクチンの追加接種(英語では booster shot と言います)を受けました。当初はその1週間ほど前の日時で予約を入れていたのですが、業務日程の変更があったため再予約をしての接種です。副反応は心配していたほどでもなく少し熱っぽくなっただけで痛くも痒くもありませんでした。
 ところで、この連休を利用して眼鏡を新調しました。雨にも負けずではありませんが、警備のバイトをしていると雨であろうが雪であろうが屋外での交通誘導等があります。そのせいか眼鏡の弦のメッキがはげたりレンズ自体に傷が入ったりしていたものですから買い替えが必要でした。
 この眼鏡の買い替えもちょっとしたことがあったものですから、この機会に経験談として記録しておきたいと思います。

 昨年11月15日の警備のバイト帰りにある眼鏡屋さんに立ち寄りました。警備バイトの帰り道ですので本当の普段着で立ち寄ったのが、いつも利用している中央線のとある駅構内にあるお店。乗り換えのためによく立ち寄る駅だったので時間の節約になると思って初めて入店したのですが、狭い店舗に店員さんが2名。ベテランの男性と若い男性でした。接客中でしたので陳列されている眼鏡を眺めていました。その日に買えたらいいと思いながら過ごしていると若い店員さんが声をかけてくれました。しばらく説明を聞いていたのですが、突然、「他のお客さんの接客中だ」とベテラン社員の声。それが若い店員さんに対してではなくて私に対してでした。信じられますか? どういうこと?とも思いました(文句も言えそうにないと判断してのことでしょう)。私は黙ってそのまま店を出ました。
 それがトラウマになったのか、しばらく眼鏡の買い替えを先延ばしにしてしまったのです。最初はそのお店を統括する部署に苦情の電話でもしようかとも思ったのですが、全国展開しているその会社の責任ではなく、直営店かFCかわかりませんが、たまたま居合わせた非常識な店員の言動なので無駄な労力をかけることもないだろうと思い直しました。
 年が明けて1月下旬にコロナワクチン大規模接種関連業務の依頼をいただき、2月中旬から勤務可能と回答しました。また、警備のバイトで高速道路での業務が予定されていたこともあり眼鏡の買い替えを急がねばならないと思い、ある実験をしてみることにしました。
 JR吉祥寺駅も乗り換えのためによく利用する駅の一つなのですが、ここに上記のチェーン店と別の眼鏡店が商店街の通りを挟んで目と鼻先で競合しています。別の眼鏡店は妻も娘も利用していて妻から薦められた店舗です。11月と同様に警備バイトからの帰りにこの2店舗に立ち寄ってみたのです。どちらもTVコマーシャルをしていたようなチェーン店ですので、さすがに来客も多かったです。そのせいか汚らしい格好をした私は一声くらいの声掛けはありましたが見込み客とは思われなかったようです。そのお蔭で私はゆっくり品揃えと価格の確認をできました。店舗の雰囲気も商品も大差はないように思えましたが、気に入った眼鏡はというと家族が利用しているお店に軍配が上がりました。多少高くても納得のできる眼鏡にする方がいいですよね。これでじっくり品定めができる日に行くお店が決まって、連休中の昨日、無事に眼鏡購入を済ませることができたのです。眼鏡一本購入するのに4か月近くもかかったのですから私らしくはないのですが、この点だけでも、あの駅構内の眼鏡店での出来事がいかに苦々しいものだったかご想像していただけるでしょうか。

 また、どうしてこんな体験談?と思われるかもしれませんね。上の司馬遼太郎さんの「身分制のない社会」の「等級差の檻」という文章が頭から離れなかったからなのです。
 コロナ禍の生活下(living with COVID-19) では所謂「三密」(英語で the Three Cs)なる言葉をよく耳にしますが、私の世代には「三高」(高学歴、高収入、高身長の男性のことです)という1980年代末の流行語も忘れられていないと思います。私はその真逆を代表するような存在ですので、損な役回りも少なくありませんが、自分自身を見失うことなく、我が道をゆく!という気持ちを持たないと先に進めません。自分を信じて日々過ごすことで道は開けるということを来月には17歳になる息子へのはなむけの言葉になればと思いましたので、敢えて記録することにしたのです。
 正直なところ、現在業務をさせていただいている現場でも貴重な?経験をしたことがあるのですが、関係部署の皆様にご迷惑をおかけするとまずいので家族以外にはお一人の例外を除いて他言をしていないことがあります。これもいつか笑い話としてご披露する日もあるかと思いますが、しばらくは内緒にしておきますね。
 ということで、いつものことながら収拾がつかなくなってしまいましたが、子ども達には人生は長いのだから(過ぎてしまえばあっという間です!)、くよくよせずに、自ら無意味な「等級差の檻」に縛られるなということを伝えたかったのでご寛恕願います。

 因みに今日は母の誕生日で、82歳になります。親不孝な息子ですが、長生きをしてほしいと願っています。


*The Japan Times Viral hit: ‘Sanmitsu‘ — the ‘Three Cs’ — declared Japan’s buzzword of 2020
Sanmitsu” — the “Three Cs” approach to preventing COVID-19 infection by avoiding closed spaces, crowds and close-contact situations — was chosen Tuesday as Japan’s buzzword of the year.