家族通信「竹の子」

 クラス通信として誕生した「竹の子」ですが、それが私の教室通信(塾通信)となり、最終的には家族通信としての役割を果たしてくれました。現在は休刊中という名の廃刊状態になってしまったのですが、家族通信(恐らく第43号からです)としての走りの頃の記事を転載させていただきます。 
 因みに、可能であればクラス通信としての「竹の子」の記事もいつか紹介できればと思っているのですが、私にとってはPC時代以前(つまり、ワープロのこと。知らない方のほうが多いですね?)のことでもあり、「ことばの海をゆく」以外の記事は全く電子データ化されていないので残っていません。紙媒体の通信探しから始める必要がありますので、これは実現が難しいかもしれません。


おかげさまで1年

 あっという間に結婚1年目を迎えることができました。新婚早々に九州に移ることになり、彼女は大慌て。騙されたというのが本音だったようです。それでも、こうして見知らぬ土地で辛抱強く頑張っている彼女には感謝しております(彼女曰く、感謝の気持ちが足りない!)。
 ずっと休刊状態だった小紙ですが、私の仕事もようやく一段落してきたところですので、再開せねばと思い始めているところです。
 前号でスペイン旅行報告の予告をしていたはずですが、あれから7ヶ月以上も経ってしまいましたので、今更新婚旅行の話もないだろうと思います。
 今回は、たまたま帰郷なさっていたS先生宅に押しかけた一泊二日の旅のことを記します。
 9月23日の朝、突然電話がなりました。声の主はS先生。「今、津和野だ」ということで、すぐに小倉駅へ。みどりの窓口で津和野まで一番早いルートをお願いしたところ、小郡まで新幹線、そこから特急に乗り継ぐということになりました。
 11時8分の新幹線(ひかり)で20分(小倉-博多間も20分かかります)後には小郡駅。15分程の待ち合わせで小郡駅発の特急(おき)に乗り換えました。そこから1時間ちょっとで津和野駅です。まだ午後1時になっていません。
 ホームに降りてびっくり、SLが停車しているではないですか。貴婦人の異名をとるとか。D51しか知らない私でしたが、思わず記念写真。聞けば、この時期に小郡-津和野間を1日1往復しているのだそうです。
 そうこうしているうちに、S先生から連絡が入りました。駅前にてご挨拶、九州出発の前日にお会いして以来のことですから8ヶ月ぶりでしょうか。
 小雨の降るなか、津和野を散策することができました。

「鯉ですか。あれは津和野藩が獲ることを禁じていたのです。禁制が出てもう二百年以上になるかもしれません」
 森澄さんの気乗り薄な態度からみても、獲らないということがなんの話題性ももたないほどにあたりまえのことなのである。津和野人は鯉だけでなく一般に殺生を好まないが、鯉に対しては特別な愛情をもっているらしい。
 津和野川に沿う道を歩いて、森鷗外の旧居へゆく。

-司馬 遼太郎『街道をゆく(1)』 (朝日文庫)p.248

 津和野と言えば森鷗外の故郷、ということくらいしか知らなかったのですが、一度は訪れてみたいと思っていた土地なのです。「史蹟と鯉の町」と言われるだけあってお堀の鯉の多さに驚きました。
「こんなにいたらつかみ取りですね」という私でしたが、司馬遼太郎の説明を待つまでもなく、大切に守られている様子がよくわかりました。
 ちょうど1年前のこの日に私たちの結婚式で脚をつらせながらも踊りを披露してくださったS先生宅に泊めていただきました。突然押しかけて行った私たちをお母様も弟さん一家も暖かく迎えてくださいました。感謝、感謝です。
 翌24日は東萩駅まで送っていただきました。距離にして60キロ弱でしょうか。島根県から山口県に舞台は移りました。
 1日1便の特急「いそかぜ」(小倉行き)の発車まで3時間以上あったので、市内定期観光バスに乗って観光を楽しみました。   
 2時間半ほどのコース。参加者は私たち夫婦ともう1組の老夫妻の4人だけ。バスガイドさんを含めた5人で萩の城下町を歩きました。
 萩焼の窯元「城山」、城下町散策(木戸孝充・高杉晋作の旧居、菊屋家住宅)、松下村塾のある松陰神社、毛利家の菩提寺の一つである東光寺を巡るというコースでしたが、小人数だったのでゆったりのんびりとすることができました。
 桂太郎先生旧居がコースから外れていたのは残念でしたが、小倉から特急で2時間ほどの距離でしかないので、次の機会にと思っております。
 孤立無援の状態で知らない町で生活をしてきた彼女にとっては大きな気分転換になったようです。私自身も松陰先生、高杉晋作、そして森鷗外の生まれ育った土地を訪ねることができたという思いだけで感激しました。
 このような形で私たちの結婚記念日を祝してくださったS先生に感謝しております。ありがとうございました。【友】

-「家族通信 竹の子 第44号」(2000年10月6日 発行)