ある通訳ガイドのつぶやき-その4

学問というのは、態度なのである。

 警備のバイトを始めて2か月になろうとしています。
 バイト先では、それはそれは様々な人と出会います。そんな中でもNさんというベテラン警備員さんには教えられることが多かったですし、今後もそうだろうと思っています。口は悪いのですが、的確な指示と行き届いた配慮のできる方ですし、相手が誰であろうと言うべきことはきちんと伝えるという姿勢を崩しません。そうでなければ、現場を守ることはできないというのが彼の持論のようです。
 「最初は注意して、二度目は叱る、それでも駄目なら別の人に替えてもらえ」というのが現場引継ぎ時の助言でした。私の性格ではそれは無理というものですが。

 ところで、この月曜から土曜のバイトのお蔭で自宅と現場の行き帰りの車中(電車と地下鉄)と休憩時の読書が日々の日課になりました。ツアー中なら、どうしても日程やガイディング資料の確認に充てる時間になるのですが、今はその代わりに文庫か単行本が道中の友になるため、週に2、3冊のペースで本が読めます。物事はプラス思考で行かないと気が滅入ることもありますので、こんな心がけも大切ですよね。

 さて、先日、次のような一節に出会いました。司馬遼太郎さんの随筆?「白石と松陰の場合(学問のすすめ)」(『歴史の中の日本』所収)からです。

 学問がある、というのは、知識があるということではない。私は語学の学校を出た。いまさらこんなことをいうのは恩師への誹謗になりそうだが、私が接した多くの語学教師は言葉の練達者であっても、べつに学問があるようなけはいはなかった。大工の徒弟が、カンナの削りかただけを教えられるようにして(つまり家の建て方は教えられずに)語学を学び、学んだところで知的要求がすこしもみたされず、ちょうど牢獄で、バケツを、あっちへもって行って水をすて、こっちへもってきて水を満たし、その作業を一日千回もくりかえしているような(それをやると囚人は発狂同然になるそうだが)作業であった。まったく、えらい目にあった。そういうにがい経験があるから、学問というのは知識とはちがうのだろうということで、多少の感覚はできた。
 学問というのは、態度なのである。

司馬遼太郎-『歴史の中の日本』(中公文庫 昭和62年4月5日16版)126-127㌻

 この一節から思い出されるのが、学部時代の語学教員お二人のお言葉です。
 お一人が、スペイン語の面白表現を少しずつ拾っていた私に「そんなことをしたって誰も褒めてくれないよ」とおっしゃる教授です。別に褒めてもらうために集めているわけではなかったのですが、「君は●●大学なら中の下か下の上くらい(のレベル)だよ」と平気でおっしゃる方ですから端から会話は成立しないですよね。
 もうお一人の教授からは大学図書館の洋書コーナーである本を手にしていた時に「読めっこないだろう」と背中越しからの一言、大学院受験時に推薦文をお願いしたところその場で一文だけ書き込んでくださったのですが、研究室からの退出時に「受かりっこねーだろ」と背中に無情な言葉を投げかけられました。
 これが私の受けた高等教育機関の教授の一面でした。今であればアカハラでしょうが、当時はそんな発想自体がなかったのですから黙っているしかありませんでしたが、どうすればレベルアップできるのか、どのようにして欧文を読解できるようになるのかという説明自体がなかったのが残念でなりません。
 私が大学、そして後年、大学院に求めたものは「学び方」であって、「知識の切り売り」ではありませんでした。今でこそ「こんな教員は要らない!」と自信をもって言えますが、論文主義で教職に就いた方々でしょうから研究者としては立派かもしれませんが、決してよき教育者ではなかったと思っています(少なくとも、私の中では「反面教師」になっているのですが)。

 私は新設大学設置業務をはじめ学部増設、短大学科増設等の業務を担当した経験から教員審査なるものが論文主義でしかないということを知っています。また、後年、教務課長として講師依頼業務や学生便覧や講義要項(シラバス)等の編集業務等や入試担当課長も務めさせていただいていたことから、大学職員として延べ数千の大学・短大・高校の教員と接する機会に恵まれました。とはいえ、私自身が師事したいと思える先生あるいは自分の子ども達の先生になってほしいと感じられる方は片手でも余るほどしかいらっしゃいませんでした。
 そんな経験があるせいでしょうか、それとも私自身の高校や、大学・大学院での経験からか、正直なところ学校教育全般への期待感は薄いのです。ですから、子ども達には義務教育の機会を与えれば十分、あとは社会に出て物事の本質を見抜く力を養ってもらえれば良いというのが本音です。

 前置きのつもりが前置きでなくなってしまいましたね、この雑文は通訳ガイドのつぶやきでした、はい!
 ベテラン、新人を問わず、通訳ガイドの中にも無神経なもの言いをする方々がいます。以前、「私は合わせるつもりはありませんから」と挨拶もそこそこに宣言した女性ガイドに驚いたと書いたことがありましたね。AGT様から何を言われて来たのか知りませんが、2台のバスが同一行程を移動するツアーで「合わせるつもりがない」の真意が理解できませんでしたし衝撃的でした。
 ところが、この女性ガイドとはよほど縁があるのか他のAGT様の3台口のインセンティブツアーでも一緒になる機会がありました。このときはAGT様の担当者に確認しないまま勝手な行動を他の二人のガイドにまで半ば強要(共犯者?に)したり、日替わりで異なるバスに乗車するお客様の使用するイヤホンガイドを最終日の回収時にはさっさと当日担当人数分を取りまとめて、ご自身の担当分は全部ありとするようなガイドさんでした(最終的には数台のイヤホンガイドが足りずに、ゲストに再度確認していくつかは回収できましたが)。
 このような行動をAGT様も見過ごすことはありませんでしたので、もう一人の女性ガイドさんと私は何も言わずに済みましたが、時にはこのようなガイドさんと台数口を担当する危険!もあるので注意が必要です。

 もう一つだけ。あるAGT様の中で「東の横綱 西の横綱」と呼ばれているスペイン語のベテランガイドがいらっしゃいます。
 幸運にもそのお二方と台数口で業務を経験させていただく機会もあって随分と学ぶことができました。
 ただ、「完成品」としてのガイドって、どんな方がイメージされているのかなと日々思っていた私ですから、不躾ながらお二人を比べながら担当させていただいたインセンティブツアーだったのです(私の力量が一番が低いために足手まといになったことは言うまでもありません)。
 私にとっては「東の横綱」に軍配を上げざるを得ませんでしたし、今でもそう思っています。このベテランのスペイン語ガイドさんは物腰が柔らかいだけでなく、とても謙虚で周囲の方々に相当な配慮をしながらの言動のとれる方でした。一方の「西の横綱」はそう呼ばれることは当然のように振る舞い(少なくとも私にはそう感じられました)や、初めてお会いしたにもかかわらず、人を小馬鹿にしたような態度のとれるガイドさんでした。

 ガイドをツアー遂行のためのパーツの一部と見れば、ゲストである旅行客もその構成要素に過ぎないことになるため、一連の経済活動を無機的なものと看做せば、個人的な思い等は一切抜きで成立してしまうのが、訪日観光旅行ということになるのかもしれません。
 ですが、です。本当にそれでいいのかなと思っているのは私だけではないですよね。日本の良さ、日本人を正しく理解していただくことが私たちの使命であるとしたら、学問、この場合の学問はツアーガイドとしての技量になるかと思いますが、の修養は、その態度にあるのだと思います。

 毎度のことながら、だらだらと、そして奥歯にものの挟まったような言い方しかできないので申し訳ないとは思います。私の「つぶやき」は個人攻撃のためではなく、私自身の指針を少しずつ明確にすることで、いつか私がどういう思いで仕事をしていたのか知ってもらうための我が子へのメッセージとして残しておきたいという狙いから来ています。どうぞ誤解なきようにお願いいたします。