ある通訳ガイドのつぶやき-その3

我以外皆我師

 前回と前々回の二度にわけてAGT様とのやりとりについて触れましたが、今回は同業者をテーマにしたいと思います。
 私たち専業の通訳ガイドは、それぞれが個人事業主です。それはそれは多種多様なガイドさんがいます。かくいう私自身も他の方の目には変なおじさんに映っているかもしれませんのでお互い様ですが。

 さて、今回は数あるエピソードの中でも私の中では極めつけという位置づけのYさんというガイドさんとのやりとりです。
 ある研修会で知り合ったのですが、ご自身が多忙で手がまわらないためスタッフとして研修会の案内作成業務を手伝ってもらえないかということでした。インターネット関係はあまり知らないからとやんわりとお断りをしたのですが、わからないことがあれば説明するからというメールまで受信したことからお引き受けすることにしました。
 数日かけて研修会の内容と応募要領などを作成して、あとは公開日前日の公開予約をするところまでは何事もなく進行していたのですが、この公開予約実行の段階で不具合と思われる点があったので、すぐにYさんにどうすればよいのかご連絡しました。
 ところが、梨のつぶてなのです。同じ研修スタッフのMさんがチャットメールのやりとりをご覧になったのか心配してくださり、深夜近くまで色々と調べてくださったのが心強かったです。私自身もこのグループウェアのヘルプデスクに問い合わせながら未明まで試行錯誤を繰り返しましたが埒があきませんでした。
 ところが翌朝には何事もなかったかのように研修会の案内が公開されているではないですか?!
 さすがにこれには驚きました。Yさんは私からのSOSは無視したまま、公開予定日に涼しい顔をして?やり過ごしたわけです。Mさんにご迷惑をおかけてしまったうえに、この日の朝8時過ぎにOさんがツアー中にもかかわらず、「問題は解決しましたか」というお電話をくださいました。そのときは一連の流れをご説明して、予定通り告知ができた旨をお伝えしてご安心いただきましたが、Yさんからは何のご連絡もないままでした。

 こんな経験をしたものですから、この研修会後に続く宿泊を伴う研修も含めて研修会の参加を取りやめることにしました。
 理由は簡単です。私自身もアサインが増えている中で時間をやりくりして研修会のお手伝いをしようと思っても悪意さえ感じられる方に交じっていられないと判断したからです。
 それから数年後、どうしても参加したいウォーキングツアー研修で受付をしていたのが上記のYさんです。何事もなかったかのように「お久しぶりです」の一言には返す言葉がありませんでした。

 今だから言えることですが、通訳ガイドも人間ですから人さまざまです。こんな人もいるんだと思って笑い流せば済むことですので、他人は他人と割り切って、必要以上に遠慮することはせずに可能な限り研修会には参加すべきだと思っています。
 余談ですが、上記ウォーキングツアー研修の講師は英語で落語までこなすというベテランガイドです。この研修会は参加希望者が多いことから倍率も高く、絶対に逃がしたくないと思ってYさんに遭遇する危険?を避けることなく参加申し込みをしました。そして偶然にも、この研修会受講の翌日にメキシコからのハネムナーのご希望で実地研修と同じルートをご案内することになったのですから不思議な巡り合せです。ということで、ガイディングのスキルアップの機会を自身の感情でつぶすことのないようにしなければなりません。
 この経験もコメントと一緒に一連のメール送受信録を残してあるのですが、この出来事の翌年にある研修会責任者から研修会でのスピーカーにならないかとの有り難いご連絡をいただいた際にお断りする理由として送受信録の一部を添付したこともあるため、ここでは割愛させていただきます。
 その代わりにというわけでもないのですが、「我以外皆我師」について記した私の雑文をご一読いただけると幸いです。「我が師」は反面教師という意味になりうることもありですよね。

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2015年06月13日 (09:11) :日記 

我以外皆我師

 吉川英治、幼馴染みから『宮本武蔵』を勧められたのが、この作家との出会いでした。以来、文庫版個人全集を少しずつ買い集めたり、それより後年に愛蔵決定版全集(53巻)を古本屋さんで見つけて(私としては)無理をして買ったことも昨日のことのように覚えています。六畳一間の部屋が本で埋まって布団を敷くスペースもなくなり、仕方なくミカン箱にしばらく手にしないだろう本を詰めました。それを2段重ねにしてベッド代わりに寝起きをしていた生活も今は昔です。妻もそんな私の生活を見ているので、決して本を捨てろとは言いません(感謝しています)。
 さて、標題について。これは吉川英治さんの言葉と認識しています。私が最初に目にしたのは『新書太閤記』です。旧知の友人たちには、またかと思われるかもしれません。が、私の座右の銘でもあるので小欄でも一度はご紹介しておきたいと思います。春の慌ただしさから解放され、改めてこの言葉の重みを実感したという思いもありますので、おつきあいください。以下、同書(愛蔵版全集 第23巻)より引用します。

 秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮す年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
 だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。
 ――我れ以外みな我が師也。
 と、しているのだった。


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