落ち穂ひろいmini★tirar

tirarse a… = montárselo con… = acostarse con…

 現在視聴中のスペインドラマ “4 ESTRELLAS” は、まるで俗語表現の学習教材のような感じがしますが、この基本動詞 tirar もその一例と言えます。すべての登場人物がZ世代?と思えるような comediaです。

 ところで、このドラマも “Cuéntame cómo pasó” 同様にNR12 (no recomendado para menores de 12 años)、つまり12歳未満の視聴は推奨されていません。その基準がどのようなものなのかはきちんと確認しているわけではないのですが、「その言葉遣い!」という意味で Esa boca. と窘める場面もありますので、飛び交う俗語や卑語も視聴基準の重要な要素になっているのでしょうか。そういう意味では小欄はどうなるのかなと自問自答してしまうのですが、大人のスペイン語学習者をターゲットにしているとご判断ください。
 現代スペイン語の宝庫と言っても言い過ぎでないので、これらのスペインドラマは可能な限り今後も継続して視ていこうと思いますし、そこで出会った「言葉」なども少しずつでも拾っていこう、それらを整理していこうと考えています。

 英語の「ことばの海をゆく」に始まった私の放浪ですが、今はスペイン語の「落ち穂ひろい」。学生時代から今は休刊(実際には廃刊ですね)となっている「英語青年」(研究社)、「言語生活」(筑摩書房)、「言語」(大修館書店)等の言語関係の雑誌類を愛読するくらいに言葉に対する関心が強いせいでしょうか、業務の関係で数多くのスペイン語圏の人々と接する機会も少なくなかったことからでしょうか、スペイン語の魅力から抜け出すことができないのです。

 俗語に関して言えば、私のスペイン語はメキシコでの生活が原点になるでしょうか。そしてオクタビオ・パスの『孤独の迷宮』との出会い。パスはメキシコのノーベル文学賞作家なので、日本でも最も知られたメキシコ人作家ですし、和訳された著作も多いので、説明は不要ですね。
 この本のサブタイトルが「メキシコの文化と歴史」です。メキシコ行きが決まってすぐに紀伊國屋書店で購入した一冊で、今も私の本棚に鎮座しています。
 メキシコで最も重要な言葉「チンガール」について詳細に教えてくれた著作になりますが、メキシコ入りをして最初に購入した本 “El laberinto de la soledad” (Colección Popular 107) もこれです。

 俗語についてでしたね! 同書(日本語訳)から次の一節をご紹介させてください(随分と前に別の印刷物で引用したことがあります)。

 我々の日常語には、禁じられている、秘密の、明確な内容を持たない一群の言葉がある。それらの持つ魔術的な曖昧さに、我々は感情や反応の最も粗暴な、あるいは最も微妙な表現を託している。それらは、悪口雑言であり、我々が自制心を失ったときにだけ大声で発せられる。また我々の内心を漠然と反映している。我々の活力の爆発がそれらを照らし出し、我々の意気消沈がそれらをかげらせる。それらは子供や詩や宗派の言葉のように、神聖な言語である。それぞれの文字、それぞれの音節が、同時に明と暗の二重の生を持ち、それが我々をあらわにしたり、隠したりする。何も意味しないと同時に、すべてを意味する言葉でもある。思春期の少年が大人ぶりたいとき、しわがれた声でそれらの言葉を口にする。婦人は自分の精神を自由に表すために、あるいは自分の真の感情を示すために、それらの言葉を繰り返す。つまり、これらの言葉は、その曖昧さや、その意味の変わり易さにもかかわらず、決定的であり、断定的である。それらはひどい言葉であるが、貧血症的な語彙の世界では、唯一の生きた言語である。誰にでも手の届く詩である。

-オクタビオ・パス:『孤独の迷宮-メキシコの文化と歴史』(法政大学出版局)73頁

 詩人であるパスらしい言葉です。今回は、上の段落に続く一節を追記させていただきます。

 各国がその独自のものを持っている。我々の場合には、不透明な固い肉体に向かって振り下ろされた、ナイフが放つ瞬間的な光にも似た、短くてひき裂くような、しかも攻撃的で火花を散らすようなその音節の中に、あらゆる我々の欲望、怒り、熱狂、そして我々の心の中で暗黙のうちに戦っているあこがれが、凝縮されている。その言葉が我々の合言葉である。それによって我々はよそ者の中で互いに認識し合い、そして我々の存在の状態について口にする度に、ついその言葉を用いる。それを知り、使い、色鮮やかな玩具のようにそれを空に投げ、あるいは鋭利な武器のように震わせることは、我々のメキシコ性を肯定する一つの方法である。

―(前掲書) 73-4頁

 以上、余計なことを書き過ぎたかもしれないのですが、生きた言葉を正しく理解するための一つの過程としてこんな作業を続けていること、私の姿勢を少しでもご理解いただけたらという思いで追記させていただきました。
 それでは、今回の用例です。記述に間違い等がある場合にはご教示をお願いします。

– ¡El presidente con el entrenador! ¡Que el presidente se estaba tirando al entrenador! ¿No es fuerte eso?

– “4 ESTRELLAS” T1-E062 (10:50)

– Mi madre se está tirando a Alfredo.
– (TOSE) No me hagas reír cuando bebo, que me ahogo.
– Que no es una broma Julio. Que los pillé, en el acto. En el acto sexual, ayer.
– ¿En el acto?
– Sí.
– (RÍE) A ver, Marta, que no puede ser. Te habrá parecido.
– Que no, no me ha parecido. Lo vi con estos ojitos.

– “4 ESTRELLAS” T1-E062 (16:01)

– Paolo se ha tirado a Blanca, y le ha ascendido.
– ¿Qué?
– ¡José Antonio, que era un secreto! Joder, no se te puede decir nada.
– Es Martínez. Es discreto, no va a decir nada.
– Más te vale. Si Ainhoa o Luz se enteran de esto, me matan.
– Vale, vale. Pero, a ver, que yo me entere: ¿Se puede saber qué puesto te ha dado Blanca?
– El de Ainhoa.
– ¿Cómo?
– Ya.
– ¿Y te parece bonito acostarse con un superior para…
– Chist.
– … que te den un ascenso?
– No me he acostado con ella por eso.
– Ah, no. ¿Y entonces?
– Una cosa llevó a la otra y…
– ¿Ves? Vosotros me empujasteis a hablar con ella. ¿O no?
– Claro que sí, Paolo, a hablar. ¡No a prostituirse!
– Gracias. Yo no me he prostituido. Y dejen de señalarme con sus dedos acusadores.

– “4 ESTRELLAS” T1-E062 (22:06)

– No te tires más a quien no debes, porque te joderé la vida pero bien. Te lo juro. ¿Te queda claro?

– “4 ESTRELLAS” T1-E063 (39:38)

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