落ち穂ひろいmini★nacido

De bien nacido es ser agradecido.

育ちのいい者は感謝を忘れないものだ、感謝の念は徳の証

 元旦の大地震、新潟に住む実家の両親は一時避難所へ。叔母の家では庭の石灯籠の上部が倒壊、という程度でしたので震源の能登半島で見られるような被害はなかったです。それでも連日の報道に飽いてしまってはいけませんね。いつ何時、大きな災害が私たちを襲ってくるか誰にもわからないのですから、決して他人事ではありません。
 ところで、昨日、NHK特集「永平寺」(1977)が放映されました。そして番組視聴後に書棚の『典座教訓・赴粥飯法』 (講談社学術文庫)を手に取りました。Perlegi Sept 15, 2000と書いてあるので、2000年9月15日に読了していることがわかります。
 日常の生活が当たり前だと思っていないだろうか。毎日の食事に感謝しているだろうか。地震報道に接する度に感謝の念を忘れてはならないと思い直しています。
 昨日のNHK特集でも触れられていた「五観の偈(ごかんのげ)」。上の文庫から読み下し文と訳文を引かせてください。

 一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
 二つには己が徳行の全欠と忖って供に応ず。
 三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
 四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
 五つには成道の為の故に、今此の食を受く。

〔訳文〕
 一つに、目前に置かれた食事ができ上がってくるまでの手数のいかに多いかを考え、それぞれの材料がここまできた経路を考えてみよう。
 二つに、この食事を受けることは、数多くの人々の供養を受けることにほかならないが、自分はその供養を受けるに足るだけの正しい行ないができているかどうか反省して供養を受けよう。
 三つに、常日ごろ、迷いの心が起きないように、また過ちを犯さないように心掛けるが、その際に貪りの心、怒りの心、道理をわきまえぬ三つを根本として考える。食事の場においても同様である。
 四つに、こうして食事を頂くことは、とりもなおさず良薬を頂くことであり、それはこの身が瘦せ衰えるのを防ぐためである。
 五つに、今こうやって食事を頂くのには、仏道を成就するという大きな目標があるのである。

道元 (著)『典座教訓・赴粥飯法』中村 璋八, 石川 力山, 中村 信幸(翻訳) (講談社学術文庫) 193-5頁

 いただきます、の意味が了解できるかと思います。改めて「感謝の念」の大切さを再確認できた番組に感謝です。

 今回取り上げる句はこれまでにも何度か取り上げています。理屈抜きで、この用例を記録させていただきます。

– Pero tú no trabajas aquí, ¿no?
– Trabajo donde me necesite la familia Lasierra, que me tratan como a una hija.
– (ASIENTE) Qué bonito sentimiento, ¿no?
– ¿Qué sentimiento?
– Pues la lealtad a tus jefas.
– Es que es de bien nacida...
Ser agradecido.
– Eso. Me lo dice mi abuela.
– A mí, mis padres.
– ¿Sí?
– (AMBOS) Fíjate.
– ¡Anda! Otra vez.
– Sí. Es que se aprende mucho de la familia.
– No te creas. Yo, lamentablmente, he tenido que tirar sola en la vida.
– ¿Sí?
– Sí, pero no me va nada mal, ¿eh?

– “4 ESTRELLAS” T1- E043 (27:25)

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