ラーメン

 初めて訪ねる土地で最初に口にしていたのがラーメンです。その理由は定かではなかったのですが、司馬遼太郎さんの『街道をゆく3』(朝日文庫)の一節に反応です。
 もう40年も手元に置いている文庫ですので、かなりくたびれているのですが、いまだに断捨離できずに今日もこの文庫を片手に警備のバイトに出かけました。そして私のラーメンへのこだわり(勿論、大好物だというのが第一の理由でしょう)の発端ではないかと思える文章に出会いましたので、備忘のために記録しておきます。

 ここで、トンカツとラーメンを食った。トンカツは私の旅の小さな心得のひとつで、こればかりは土地の都鄙を問わず、店舗の華卑を問わず、味に上下がない。その上にラーメンをたのんだのはやや過食の気味があるが、いま大衆むきの店で店の浮沈を賭して研究しているのがラーメンである。久慈のラーメンの味はどうであろうかと思って食べると、なるほど水準以上で、そう賞味している自分がわれながらあさましく、阿保くさかった。

-司馬遼太郎『街道をゆく 3 陸奥のみち 他』(朝日文庫:昭和53年11月20日 第1刷発行 77頁)

 どうでもいいことなのですが、トンカツは私の口には合わず(随分と若い時分に和幸のそれを口にしてお腹をこわしたことがあります!)可能な限り避けています。だから私の場合はラーメンだけなのですが、こんな点まで司馬さんの真似をしようとしていたのかと思うと我ながら滑稽に感じたものですから、今回取り上げた次第です。

 ずっこけついでに続けます。お盆休み中から手元にある古い家族通信「たけのこ」をぱらぱらと眺めているのですが、ラーメンに関する雑感の多いことに笑ってしまいます。これまでに何千何万食お腹にいれてきたのか不明ですが、人生の中で「失敗作」と感じたラーメンは一杯だけです。味が薄いとか濃いとかという問題ではなく、まずい!の一言で終わった唯一無二のラーメンがあります。どういうわけか記録がありません。ひょっとして日記に記していたのかもしれませんが、全ての日記を処分してしまったために確認のしようがありません。どこの何というお店だったかは忘却の彼方、でもきっとそのお店の前に立ったら本能的に拒否反応を起こしてしまうかもしれないほど「がち まずい」ラーメンでした。「がち」は「死ね!」同様に我が子の口癖になっているので、その記録も兼ねて敢えて記しておきます。

 ということで、今回は2010年9月1日から2泊3日の佐世保出張時の抜粋記事をご紹介させていただきます。
 因みに前回の紹介記事中に長崎市の「飛龍園」が登場しているのですが、あれから数年後に閉店してしまいました。この飛龍園のちゃんぽんと同じくらいにお気に入りだった佐世保市の「香蘭」のちゃんぽんに再登場してもらいます(皆さんには、どうでもいいことです! 本当に)。

※下記の記述内容(データや感想など)は執筆当時のものですので、予めご了承ください。

佐 世 保
 9月1日(水)から3日(金)までの2泊3日で佐世保地区の高校訪問をしました。(中略)
 今回もいつものように駅ガード下の「香蘭」でいつものちゃんぽんを食べました。到着した日の昼飯、2日目の夕食の2度です。700円で具だくさんです。6年前からずっと通っているお店なのですが、お隣の「大善」にはここ3,4年は入っていません。それほど、こちらのちゃんぽんが気に入っているのです。

香蘭 長崎ちゃんぽん


 今回の目玉(となるはずだったのですが)は数年ぶりに食べた「あごラーメン」です。佐世保地区訪問初年度の6年前にEさん(編集者注:毎年お願いしていたタクシーのドライバーさん)から紹介していただいたのが初めてだったのですが、その後の移転先がわからずじまいだったのです。思い切ってEさんに尋ねたところ店の前まで案内してくださいました。
 上京町店の営業時間は夜9時から翌朝4時だったので、9時ちょうどに着くようにホテルを出ました。開店時刻になったにもかかわらず開きません。すでに4人組のお客さんも店前に。5分ほど過ぎたところで開店。お目当てのあごラーメンを注文しました。
 写真は私が撮ったものです。650円に見合う味(?)、6年前に食べた時ほどの感激どころか、こんな無理な時間にわざわざ食べに来ることもなかったと思ってしまったのです。有名になると店舗も増えてしまうし、味を守る余裕がなくなってしまうというところでしょうか。ちょっと残念でした。(後略)

あごラーメン

家族通信「竹の子」 第126号 2010年9月5日発行