旅の思い出☆神威岬(北海道)

 谷川士清(ことすが:一七〇九~七六)は、江戸中期の国学者である。本居宣長と同郷の伊勢の人ながら、宣長が『古事記』を重んじたのに対し、士清は『日本書紀』を重んじた。
 この人の著作のひとつに、『和訓栞(わくんのしおり)』(全八十二冊)という国語辞書がある。そこには、アイヌ語のカムイ(神)を、カモイという音でとらえ、カモイの項に「蝦夷人、神をいひ・・・」とある。
 アイヌの神も、古日本の神も、内容はかわらない。
 日本人は、江戸時代いっぱい、岬を神と見、岬を過ぎる船は、帆をさげて拝礼した。
 アイヌも、特別な地形のなかに神がいるとした。山田秀三著『北海道の地名』の九二頁にも、この著者らしい物やわらかな表現で、以下のようにいう。

アイヌ時代の神様は激流とか断崖のような人間の近寄りにくい処に、好んでいらっしゃった。人間はそこを通る時は恐れ畏こんで過ぎなければならない。・・・

 だから、北海道の地名でカムイとつく所は、地形がおそろしい。たとえば、上川盆地の神居古潭(神の居所)は激流が奇岩怪石を噛むところだし、また海の岬でも、風波の荒れる地形には神威ということばが冠せられている。

『街道をゆく38  オホーツク街道』(朝日文芸文庫 1997年2月1日 第1刷発行 299頁)

 司馬遼太郎さんは同書の次頁(300頁)で「前方に、岬が出現した。岬は岩のかたまりで、二本角の犀が海に頭を突っこんで咆哮しているように怪奇である。」と神威岬を描写しています。

2022年5月29日
2015年4月14日
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