『街道をゆく』

 今回も『街道をゆく 35 – オランダ紀行』です。司馬遼太郎さんは、オランダを訪れながらお隣のベルギーのことも忘れません。前回も書きましたが、司馬さんの引き出しからは何が出てくるか気が抜けません。そのまま読み流すのはもったいないくらいなので、気になったところを可能な限り書き残しておくことで、後年、子ども達の目に触れる機会もあるかもしれないと、半ば祈りに似た思いを抱いてPCに向っています。
 今回も最初に同書からの引用から始めます。

 この小さなドライヴで見たかったのは、ベルギーの主要な都市リエージュ (Liège) だった。
「メグレ警視を生んだジョルジュ・シムノン(一九〇三~八九)は、フランスを舞台にし、フランス語で小説をかきつづけたために、フランス人とおもわれがちだが、ファンなら周知のように、ベルギーのリエージュというフランス語圏にうまれたベルギー人である。 
 私は、フランスの小説で、観念がすきならサルトルを読めばよく、人間の普遍的課題がすきならカミュがよく、いっそ人間そのものがまるごと好きならシムノンがいい、と思っている。
 シムノンには、サルトルやカミュのような大上段の構えはない。しかし人間という社会的動物が可愛くてたまらないというもだえが基本的にあったようで、このもだえを癒すために犯罪を設定し、それを真空装置(ヴァキューム)として日常の中から人間どもをにわかに吸いこみ、その心理の表現としての動作を観るのである。登場人物の動作には、当然ながら、過去、現在、未来という運命的な磁力を感じさせる。
 但し、シムノンは、運命という手垢のついた概念を信じているのではない。かれは、運命という概念をジプシー占いのような通俗性から救いだし、カエルの心臓をピンセットでつまみあげるようにして、性格とか心理をこきまぜ次元に宙吊りしてみせる。まことにあざやかで、鮮やかさだけでも堪能できる。

-司馬遼太郎 『街道をゆく 35 – オランダ紀行』(朝日新聞社 1991年3月10日 第一刷発行 215-6頁)

 英語でクリスティを読んでいたように、シムノンはフランス語で読みました。恐らく、できるだけ原典主義をとりたいという気持ちの現れだったと思います。若い頃の私にとって外国語はコミュニケーションの手段ではなく、書籍を読むためだけのツールでした。カミュやサルトルは日本語でしたが、英語でミステリーを読むようにシムノンはフランス語だったのです。今もシムノンを始め数十冊のフランス語のペーパーバックが書棚にありますが、シムノンの他に、ある女流作家の作品について立科山荘の合宿でプレゼンをした際に、小潟昭夫先生(故人)から心温まるお言葉をいただいたことは、今も良き思い出となっています。
 作家の名前も作品も忘れてしまいましたし、今のようにPCで文章を綴るということもありませんでしたので発表原稿も残っていません。その内容は忘却の彼方ですが、それでも「褒める」ということが如何に大切なことかを教えていただけたと思っています。そういう意味で学部時代までは教師に恵まれなかったと言えます。と同時に、教員とは名ばかりの似非教育者が幅を利かせる現場で事務方として大半を過ごしてきたので、「師」との出会いというのは何物にも替えがたい存在だということは承知しているつもりです。
 ヒトは褒められてこそ頑張れる存在なのですから、ダメ出しも必要ですが、まず褒める、肯定することから始めないと何事もうまくいかないということでしょうか。頭ではわかっていても、我が子のことになると感情が先にくるのか、思うようには行かない子育てだったと後悔しているところです。

 さてさて、いつのように漫然としてきましたが、子どもたちへのメッセージとして一つ、上の合宿に絡む苦い経験を記録しておきます。合宿先が交通の便に難があったので、レンタカーを利用しました。車代とガソリン代の合計を等分に持ち出しという取り決めだったのですが、一人だけ手持ちがないので後日にという女性がいました。合宿後のすぐの勉強会のことでしたが、交通事故のムチ打ちで仕事ができないので、すぐに支払いができないと言われたため、「いつでもいい」と言ったまま、数年が経ちました。
 その後、FACEBOOKを始めてすぐの頃だったと思いますが、ある地方の市役所勤務の知人S氏(とても真面目で正直な友人)がその女性とのコンタクトがあることがわかったので、そのことを打ち明けました。何を今さらと思われるでしょうが、私は意地悪な人間です。どういう反応をするか知りたかったので彼に確認してもらいました。その答えは予想通り、「もう済んでいる」というものでした。ムチ打ちを押して合宿に参加したにもかかわらず、それを理由に支払いを平気で拒む女性のことですから、当然の回答でしょう。今更返してもらおうなどと思っていたわけではなかったので話はそれでおしまいです。
 シェークスピアではないですが、借り手にもなるな 貸し手にもなるな、お金も友人も失うだけという、子ども達が今後生きて行く上での人生訓になればと思います。お金を貸すときは、あげると思うこと!という気持ちも必要かもしれませんね。
 このように私は、お金では買えない体験をいろいろとさせていただいている人間なので、それだけでも有難いと思っています。実際に同様の失敗をしないと理解できないことも多いでしょうが、親としてはできることなら我が子には同じ過ちを犯してほしくないという気持ちが強いためですね、こんなくだらないことも書き残しておくことにしました。

 とにもかくにも、シムノンを読むきっかけが司馬遼太郎さんというわけではないですが、「街道をゆく」シリーズに登場する本の多くが私の書棚にあるというところが、なんとはなしに嬉しくなったせいか、だらだらとよしなしごとを書き流してしまいました。