東京国立近代美術館「没後50年 鏑木清方展」

願はくば日常生活に美術の光がさしこんで暗い生活をも明るくし息つまるやうな生活に換気窓ともなり、人の心に柔やぎ寛ろぎを与へる親しい友となり得たい

「美術の社会に対へる一面(昭和2年2月)」(鏑木清方文集 七 画壇時事)

 これは、昨日出かけた「没後50年 鏑木清方展」(東京国立近代美術館)でメモした鏑木清方の言葉です。
 美術手帖から配信されたメルマガでその開催を知ってはいたのですが、昨日は土曜日で午後8時まで開館だったものですから仕事帰りに立ち寄りました。
 甘茶の日、いやいやお釈迦様の誕生日(勘違い!4月8日が正しいです!)だったので上野か浅草へでも出かけようかとも思ったのですが、陽気に引かれて皇居御苑を少しだけ散策しながら平川門から本丸、そして北桔橋門からMOMAT に向かいました。原則予約制になっているので、週末の午後だから当日券が入手可能かどうか不安もあったのですが、本当に久しぶりに入館できました。
 白状してしまうと、ガイドになってから一度も行ったことがありません。同館へのガイド業務もなかったのです。それほど日本画は少なくともスペイン語圏のゲストには知られていないせいかもしれませんね。箱根の美術館は、人気スポットに点在するという地の利を活かすことができているようで、何度か利用させていただいたことはあるのですが、立地の良いはずの同館がなぜ旅程に組み込まれないのか不思議なくらいです。営業面で国立ということがネックになっているのかな、と勝手に思ってしまうこともありますが、心の洗濯には打ってつけの場でもあるので、オーバーツーリズムの弊害を受けることなくゆっくり過ごせる場所は失われないようしてほしいという、それこそ身勝手な思いも一方にあります。

 と、まったく唐突な書き出しになりましたが、若い頃は美術館巡りをよくしたはずなのに、ガイドになっても必要に迫られないと足を向けることがなかったと思いながら、鏑木という名に魅かれて来館したのは、かなり昔、BOOK OFF が雨後の筍のように日本中に新規オープンしていた頃の苦い思い出があったからです。彼の全集だったか著作集だったかが一冊百円で全巻売り出されていたのに、出先で荷物になるのが億劫だったのか次の機会にしようとその場で買わず、次に行ったときにはもうなかったという経験を思い出したのです。
 私は美術館巡りはしても熱心な愛好家ではなかったので、作家のことも作品のことも詳しく詮索はしませんでした。日本画、特に美人画はこの鏑木清方と上村松園の作品が好きです。もっと言ってしまえばこのお二人以外の作品はあまり鑑賞したこともありません。
 展覧会に行くと目玉の作品前は人垣になっていることがほとんどだからかもしれませんが、いつの頃からか避けるようになっています。昨日はそんなに混んでいなかったので、閉館時間の午後8時まで4時間近くじっくり鑑賞させていただきました。

 どうしてこのお二人の日本画家に魅かれるのか、そのきっかけが何だったのか今となってははっきりしないのですが、恐らく、渡部昇一さんや司馬遼太郎さんかがどこかで言及されていたからなんだろうなと想像しています。というのも私の蔵書の多くはこのお二人の作品を通して知り得たものだからです。どうしてこんな本があるんだろうと自分でも不思議に思うこともあるのですが、昔の本を読み返しているときに出くわす書名に、はっとさせられることが時々あります。
 そうか、渡部さんが、司馬さんが教えてくれた本だったのかと合点がいくときがあるからですね。このように本というのもヒトと同じで、一期一会だと思えることができるような年齢になったのかなと感じています。それだけに書棚にある本一冊一冊には愛着があり、手放し難いというのが本音なのです。この点は強調しておきたいです! 私がいなくなったとき、これらの本も家族を含めて他人にはガラクタにしか思われないのだろうな、と考えると寂しくなります。本好きな人間に育ってくれたらいいなと思っていた我が子ですが、それも空しい願いに終ってしまった現実を前にして私の子育ては間違いだったと反省もしています。

 鏑木さんの作品をみていてほっとさせられるのは、芝居好きの母親の面影が彼にはあったからのではないか、それで不思議な魅力がかもしだされているのではないかと、何の根拠もない想像をしていますが、美人画を描く作品中にも日常生活の描写を忘れないこの作家にとても共感を覚えます。冒頭に引かせていただいた作家の言葉は、この展覧会の主題にもなっているのではないのかなと思いましたので、書きとりました。
 今回の展覧会での私のお気に入りは「ためさるゝ日」(27-2)、「春雪」(98)、「西鶴五人女 おさん」(14)、「『苦楽』表紙原画 湯の宿」(99-2)、「築地明石町」(57)、「新富町」(64)です。括弧内の数字は出品番号ですが、それぞれの女性の表情が印象的で惹かれました。
 卓上芸術提唱者である鏑木清方への敬意を表するわけではないのですが、できることなら画集も買い揃えて時々眺めたいものだと若い頃には思っていましたが、それもかなわず。いわゆる雑書に囲まれて日々の生活を続けていますが、日々是好日、一期一会の気持ちを忘れずに残された日々を一所懸命に過ごしたいと思います。

 以上、とりとめのない雑感です。こんなことは私以外にはどうでもいいことかもしれませんが、この欄は私の日記的な要素も含まれていますので、敢えて記録させていただきます。

 ご参考までに「十一月の雨」(107) という絵に面白い説明文がありましたので、最後にご紹介させていただきます。ご存じの方も多いでしょうが、日本人らしい言葉遊びの一例となります。この作品の絵葉書はショップで購入しましたが、ネットで検索可能な時代になりましたので、「鏑木清方 十一月の雨」で検索してみてください。
 作品左端のお店の看板(行灯)に書かれた文字「〇…」、「十三…」に注目して下さい。これ、判じ物です。何のお店かわかりますか?「九里四里(くりより)」〇(ウマい)「十三里」ということで、焼き芋屋さんのことです。
 「日常生活に美術の光」という冒頭の言葉、まさに鏑木清方の真骨頂とも言える作品のひとつだと思えたものですからメモしてきました。くすっと、していただけたでしょうか。