読書録 『パナマ事件』

 先日、大佛次郎さんの『天皇の世紀』全17巻(朝日新聞社)を読了しました。昨年11月下旬から3か月ほどかかりましたが、読み応えがあります。通読したのはこれが初めてだと思いますが、坂本龍馬の最期のシーン、幕末から明治維新期の隠れキリシタンへの迫害、そして絶筆となった河井継之助が致命傷を受けた銃撃のシーンが特に印象深かったです。
 もしもは許されないのですが、明治天皇の崩御(恐らく乃木夫妻の殉死も描かれたでしょう)までのこの時代がどのような描写になったのかなと思うと、とても残念でなりません。
 たまたま箱の中から見つけたDVD「天皇の世紀」に触発されたかのように文庫版の原作を手にしてそのまま最終巻まで読み切ったのですが、私にとっての大佛次郎さんは『パナマ事件』の作者というのが最初の出会いだったはずです。
 大方の人にとって、特に団塊の世代以上の方にとっては『鞍馬天狗』の原作者として馴染み深いのではないでしょうか。正直なところ全く記憶にないですが、大佛次郎ノンフィクション文庫(全9冊 朝日新聞社)の三分の二を占める『パリ燃ゆ』の方が有名かもしれませんね。
 このコレクションの最終冊が『パナマ事件』なのですが、この文庫版の初版が1983年9月に発行されているところから、私の初読もこの頃のことだろうと思います。
 実は、『天皇の世紀』の横に並べてあった同書を横目に見ながら大佛さんの大作(未完)を読み進めていたものですから、この最終巻を読了後すぐに手にしたのが、『パナマ事件』なのです。
 主人公はレセップスのはずなのですが、実のところはパナマ運河の工事を巡る議会の不正に焦点が当てられています。この作品の誕生については作者自身が同書のあとがきで明記していますし、門外漢の私が云々できる内容でもありません。ご興味のある方は図書をお探しください。
 同書で勇気づけられたレセップスの生きざまは、記録に値すると思えたものですから、その部分を書き残しておくことが本日の主目的です。また、「フランス人は救い難い個人主義者である」というスペイン人をも連想させてくれる記述は、時代が下ってスペインにおけるフランコの台頭に繋がるメンタリティに酷似していると思えますので、併せてご覧ください。

 勲章と栄誉が彼を埋めた。ナポレオン三世はスエズ侯爵という称号を贈ろうとしたが、レセップスは辞退した。やはりモンテクリスト伯、巌窟王がどこかから出て来ても不思議はない時代の空気だったように思える。
 レセップスは科学者でも技術家でもなく、財政家でもなかった。意力もたくましかったが、体力で仕事をして了ったように見えるところがある。行動人であった。身に備わった魅力で、組織を作り、他人を動かした。困難が起ると、かえって勇気を出して解決に努力した。専門家では臆病になるところを大股に無造作に歩いて見せた感がある。成就したものが一切の反対を沈黙させるのだ。彼の身上は、思ったものをこしらえて見せることだった。徳望と誠実さで事を運んだのである。あれだけ執念深くレセップスを妨害し続けて来た英国が、この実証の前に、躊躇なく帽子を脱いだ。レセップスがまことの紳士だったからである。私欲はない。誠実に仕事のことだけ考えて来た人だ。

-大佛 次郎 『パナマ事件』(朝日新聞社 昭和58年9月20日第1刷発行、89-90頁)

(…)パナマ事件は権威に対する尊敬を人心から失わせた。フランス人は救い難い個人主義者である。自分たちで選んだ議員に向っても羨望を抱き、失策を見て悦ぶ性質がある。いわゆる世紀末の時期だし、シニスムの精神状態が人を支配した時代であった。国王とか皇帝、貴族、僧侶のような古い権威を倒した後に、共和制の代表として生れた新しい権威が、議会や議員、大臣や政府が、まったく、「なってない」のを見つけるのは、折角の共和政治のためになるかならぬか考えずに批評だけをする精神には快いことなのだ。パナマ運河もパナマ事件も遂に行方不明になったが、社会遺伝としてフランス政界に、共和政治に残した爪あとは、まことに大きい。思い切って火を消して見せたならば、これまでの不信の念を残さなかったろう。あいまいにしたので煙がいつまでもいぶって残ったのである。
 議員を国民が信用しなくなったことだ。知識人は軽侮の心持をひそめて彼らを見る。その彼等に政治されるのだから、復讐的に観察は皮肉である。物をまともに素直な受取り方をしない。必ず、ひとひねり施す。しかし、そうでもしなければ我慢ならぬ相手とは? 相互に不幸な関係が遺った。今日でもフランス人は議会に権威や信頼を置かぬ。共和制の芽生えの時に、パナマ事件があったのが、打撃であった。あいまいな事件から、あいまいに受けた傷痕が意外に深く、消えないので、今日までも、まだ独裁制の影が時折さして、日をかげらせるのである。

-同書、348-9頁