落ち穂ひろいmini papa
ni papa
《話》 〔saber, entenderなどとの組合わせで〕全く(知らない、理解出来ない、等)
『クラウン西和辞典』(三省堂) には papa の見出しが3つあります。1.男性名詞「ローマ法王、教皇」、2.女性名詞「流動食、かゆ;デマ」、3女性名詞「ジャガイモ」
現在視聴中のスペインドラマ “Dos Vidas” で久しぶりにこの成句を耳にしました。私のアメブロ “Cuéntame cómo pasó” でスペイン語 でも取り上げたことがありますので、今回はどうしようか迷ったのですが、この句の papa は「教皇」だとばかり思っていたのが誤りだと気がついたのでテーマにします。
先月末の個別記事で perico は「オウム」と誤って覚えていたと「インコ」に訂正したように一度インプットしてしまうと刷り込みではないのですが、同じ間違いをしてしまうため、それを繰り返さないための予防線とご理解ください。因みに ni papa は同辞典2番目の見出し語の成句になっています(『小学館 西和中辞典』も同様です)。
すでに絶版になっていると思うのですが、次の書籍でこの句を覚えていたのでこの papa は「教皇」だと思っていたのです。
papa <チンプンカンプン>
-中丸 明『スペインを読む事典』(JICC 1992年1月15日発行)
辞書の第一義は「ローマ教皇」。「さっぱりわかならい」「チンプンカンプン」を No entiende ni papa. (ローマ教皇の言うことはさっぱり分からない)というのは、いかにもカトリックのお国柄らしい。
papa には「デマ、流言」の意味もある。いわゆる「おとっちゃん」のパパは、アクセントがついて、papá。幼児語は papi。
今のようにネット検索で確認する手段のなかった学生時代は数少ないスペイン語関係の書籍に頼らざるを得ませんでしたので、他にも間違って覚えてしまっていることが数多くあるかもしれません。
また、典拠によって異なる記述にぶつかることもあるために気がついた時点で誤りを訂正して後日に備えるようにしたいという気持ちからテーマにしたのであって同書の間違い探しが目的ではありません。このような貴重な書籍に導かれながらスペイン語の勉強を続けてきた私の軌跡の一つとして敢えて同書をご紹介したのも感謝の気持ちからとご判断していただけると幸いです。
またしても前置きが長くなりました。それでは、”Dos Vidas”から用例をどうぞ。
-Perdona, ¿qué me decías?
-Pues eso, que qué te voy a contar que no sepas tú. De lo de mi hijo y sus fiestas, digo.
-Ah, pero ¿yo qué voy a saber? Si el hijo es tuyo.
-Vamos, que ni papa.
-Pero ¿ni papa de qué?
(SUSPIRA) -A ver, alma de cántaro… Que mi hijo y tu sobrina se han hecho íntimos.
-Bueno, pues me parece muy bien.
-Pero ¿cómo te va a parecer bien, Mario?
-Bueno, si es que María… perdón, Dani, tu hijo, pues me cae muy bien.
-Bueno, y yo que me alegro, Mario, pero… pero es que resulta que una noche sí y otra también los dos, tu sobrina y mi hijo, salen de farra hasta las tantas.
-Pues es la primera noticia que tengo. Se supone que cuando… no viene a casa o llega tarde… es porque está en casa de Cloe.
-Pues no estaba, Mario, no estaba, ¿entiendes?
“Dos vidas” – Capítulo 231
*alma de cántaro 《話》ばか、間抜け、とんま
*farra お祭り騒ぎ
【関連記事】“Cuéntame cómo pasó” でスペイン語566
〔2022年4月22日 追記〕
文章語もまたその国の言葉だから、社会のすみずみまで共有されるべき性格をもっている。「なにをいっているんだか、チンプンカンプンでわかりゃしない」
『街道をゆく 36 本所深川散歩・神田界隈』(朝日新聞社 1992年4月10日第一刷発行 111頁)
という言い方は、江戸で多用された。チンプンカンプンとは三好一光編『江戸語辞典』(青蛙房)に、「儒生の漢語に対する庶民の冷笑語」とあり、漢文・漢語のことらしい。
もっとも前田勇の『近世上方語辞典』(東京堂)や『上方語辞典』(同上)では上方のほうがさきらしいが、そのことはどうでもよく、要するに文章語がチンプンカンプンだと、法も経済も興らない。
〔2024年10月2日 追記〕
-Ahí tienes a tu mujer, hablando con una amiga.
-Y tú, poniendo la oreja.
-No he podido evitar escuchar la conversación.
-Pero si tú no entiendes ni papa de sueco.
-No hace falta entender las palabras. El lenguaje del amor es universal.
-El lenguaje del amor.
-Que sí, he captado el cariño que te tiene. Y la ilusión que le hace estar aquí.
-¿En serio?
-Que sí, coño. Que si Paco por aquí, Paco por allá. Es increíble, tío. La de años que lleváis juntos y está coladita por tus heusos.
-Sí que lo tienes claro.
-Claro, no, clarinete. Soy un experto en comunicación no verbal. Es fundamental par estudiar al adversario.
– “4 ESTRELLAS” T3-E244 (15:47)