雪舟、ザビエルそして中也

 昨日の記事の続編になります。11月7日に訪ねたばかりの山口に1週間後に再訪した記録を転載させていただきます。


 11月15日(日)、少々肌寒かったのですが、ドライブに出かけました。今回は2週間前に訪れたばかりの山口への再訪です。
 時間の都合で前回行けなかった雪舟庭、ザビエル記念聖堂、そして中原中也の生家跡に建てられた中原中也記念館を目的地としました。
 子ども達にとっては「よごれちまったかなしみに」、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」でお馴染みの詩人です。そう、「にほんごであそぼかるた」で覚えた一節ですが、そんなことを説明しながら見学した記念館も彼らにとっては何の意味もなかった様子だったのが残念です。むしろ記念館近くにある高田公園内の遊具が気に入り、なかなか帰ろうとしませんでした。私たち夫婦は公園内の中也の詩碑、種田山頭火の句碑をカメラに収めながら過ごしました。
 因みにこの高田公園は明治の元勲井上馨の生家跡だそうです。山口は西の京と謳われた街。幕末の志士を多数輩出した歴史の街。萩とは一味違った雰囲気が私は好きです。
 雪舟がこの地を愛し、晩年を過ごしたことも頷けます。彼が没したという雲谷庵跡の佇まいが彼の水墨画を彷彿させる庭園を想起させてくれます。慎ましい生活に雪舟が見た世界は今尚引き継がれているような気がしてなりません。何とはなしにまた行きたくなる街です。
 ところで、ザビエルはと言えば司馬遼太郎さんの『街道をゆく』なのですが、私の歴史紀行は司馬さんの辿った道をそのままなぞっているかのようです。いつかこの全集を手元に揃えたいと密かに思っています。
 話は前後してまとまりがないのですが、前述の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」が何のことか知りませんでした。正確には香奈子さんに中也の「サーカス」と聞くまでは全く思い出すこともできませんでした。20年近く前に講談社文芸文庫版『中原中也全詩歌集』(上下2巻)、同文庫版『中原中也』(大岡昇平)を買ってずっと手元に置いていたはずなのに、このありさまです。私の記憶は危なっかしいのです。
 記念館の常設テーマ(1年ごとに変わるそうです)は「哀悼の詩-愛するものが死んだ時には」でした。平成21年2月18日から平成22年2月7日までの展示だそうです。二人の弟、そして息子文也の死。そして彼自身の死。死はまだ続くのですが、中也を死に追いやった喪失感がどんなに大きなものであったか。
 ところで、「西の京」と言われる山口について司馬遼太郎の記述を引用しておきます。

 山口市の市章は、大内氏の紋所であった大内菱である。毛利氏の前時代の国主だった大内氏の首都だったために、いまも山口市民にとってはその公家ふうの文化が誇りであるようであった。そういえば、長州武士というのは、薩摩武士とちがって公家の装束も似合うような気がする。
 大内氏第二十五世義興というのは、西国七カ国をあわせもつ太守で、地方の土着大名の身ながら公家にまでのぼった。その子義隆になると、従二位までのぼった。天子に献金したり、京から落ちてきた公家たちを保護したりしたからだが、それができるだけの富力をもっていた。とくに義隆(一五○七~五一)のころの繁栄ぶりというのは、
 「大内殿、富貴。そのころ天下に無双也」
 とまでいわれている。このころの山口政権は、中国地方や北九州の肥沃な農村をおさえているうえ、「大内船」で象徴されるごとく、さかんに海外貿易をやった。富はいやがうえにもあつまり、山口という地名は海外まできこえた。のちの長州毛利家の公家好きな政治体質や、北前船による経済的体質の原型はすでに大内時代にあったといっていい。
 大内氏がこの山口に首都をおいたのは、南北朝のころの弘世(十七世)のときであった。弘世は京の公家の娘を夫人したというから、大内氏の公家好きは古い。
 『陰徳太平記』
 という、吉川家の家臣香川正矩が編纂した諸家興亡の史書によると、この大内弘世の夫人は山口にくだってから都が恋しく泣き暮らしていた。弘世、それをあわれみ、「されば都を此地に遷すべし」として山口の都市設計を改めて京都風にし、九重の形象をとり、洛中洛外の山川を模し、さらには仏寺神廟まで京風にし、八街九陌をひらいた。
 それだけでなく、言葉まで模した。京から京童を買ってきて、町、町に六人ずつ住まわせ、さらには諸芸諸職に長じた者も京からよんだ。地方語としては典雅なひびきをもっている山口県のことばができあがるのは、ひょっとすると弘世のときからかもしれない。

-司馬遼太郎『街道をゆく1 長州路ほか』(朝日文庫)236-237㌻

-「家族通信 竹の子 第98号」(平成21年[2009]年11月25日 発行)


 フォトスタジオで撮影した長女の七五三写真が出来上がったばかりのことでしたので、長男とのツーショットの二葉を併せて掲載させていただきました。

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