意地悪
私のHPのカテゴリーとしては「竹の子」の範疇になるテーマなのかもしれません。先日、F先生の「うさぎとカメ」をご紹介したばかりだったものですから、連想ゲーム的な続編です。私はこのような寓意的な教訓集が好きなようです。
移動中や空き時間を利用して司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを読んでいるのですが、今回は同シリーズの「佐渡 国なかみち・小木街道」中の『鼠草紙』で語られる小比叡騒動の原因となった「意地悪」に関する司馬さんの見解です。
意地悪は今も昔も変わらない「日本人の民族病」ですね。とても興味深い視点ですので、忘れる前に記録させていただきます。
意地悪は、日本人の民族病といっていい。
-司馬遼太郎 『街道をゆく 十 羽州街道 他』所収 (朝日新聞社 昭和53年11月15日 発行 244-5頁)
ふつう、婦人が仲間を組む場合にこの人間精神とも言いがたいほどに生物的な作用が現われるとされるのだが、日本では男の社会でおこなわれるのが特徴的である。それも庶民の世界でなく、官僚社会、学界、画壇、文壇、記者クラブといったところでおこなわれる。辻藤左衛門は正統でない。その当時の佐渡の地方官僚の社会でなにが正統――筋目――であったかということは、いまとなればわかりにくい。かれらだけが隠微に共有しあっているしみったれた秩序感覚だからである。
ともかくも相川の役人仲間の秩序感覚では、辻藤左衛門は正統ではなく、ひるがえって一般に正統でないとされる者がその地位につく場合、他は目ひき袖ひきして合図しあい、蔭口をまきちらし、やがてはその座にすわっている当人の精神の正常性が保てなくなるまでにそれをやるのだが、辻藤左衛門もまた日本における、その後の時代をふくめての無数の被害者のひとりであったにすぎない。
ついでながら、組織内の日本人の宿痾というべき意地悪は、場ちがいにやってきた当人(この場合は辻藤左衛門)に対し、それとなくお前はそこにすわるべきでないということを集団的に暗に気づかせようとする作用で、拠りどころはあくまでも組織内部の隠微な正義である。この正義は、むろん中国風の正義でもヨーロッパ風の正義でもなく、つまり演説で堂々と表現できる正義ではない。一種の黙契の上に成り立つ秩序感覚であり、グループ内部の秩序意識といってもよく、露骨にいえば日本の差別感情の源泉になっている。こういう日本的感覚は江戸期に育てられたものといってよく、言い方を換えれば、江戸期というのはこの種の意地悪とその基準である江戸期的秩序とさらにはそこから出た差別意識という視角をのぞくと、茫々として何も見えないとさえいえる。
上記引用中の小比叡騒動(ネット検索してみてください)なるものを知らないと理解しにくい箇所もあるでしょうが、意地悪の本質については読み取ることができそうですね。
この意地悪が高じていじめにつながるのでしょう。官僚の陰険さというのは私も何度か経験したことがありますし、子ども達にも話して聞かせたことがあります。
一つ二つ拾って記しておきます。ある中央官庁での出来事です。霞が関の役人の生態というのはあまり縁がないので不案内ですが、随分若い時に許認可の必要な書類を持参してエレベーターに乗っていた時のことです。上着を脱いでサンダル履きの二人連れ、その当時、私と同年齢くらいの役人でしょうか。エレベーターの籠のドア付近に立っていた私に対してうしろから肩のあたりを突いてくるのです。降り際に後ろを振り返ると見合わせて笑みを浮かべている二人組。所謂一流大学を出て中央省庁勤めをしている官僚なのでしょうが、その本性を見たという気がしました。今もこの種の人間がいるのかどうかわかりませんが、霞が関の住人にはこんな幼稚な輩もいたという記録です。
それとは別の話ですが、件の書類審査について。役人というのは時間を持て余しているわけではないのでしょうが、アポをとって書類を持参するとチェックが始まります。途中で不備があるとそこでおしまい。しまいまで確認はせず、「この部分を訂正して再度持参せよ」で、この日は終了。次に訂正書類を持参すると、またしても次の不備でおしまい。こんなやりとりを数回したこともあります。最初に通読チェックしていただければ、二度の訪問で終了できるはずなのにと思ってもそういうものだからと、先輩に教えられました。
まったくもって双方にとって時間の無駄ですよね。尤も書類の不備はこちらの責任ですし、嫌なら申請するなと言わんばかりの姿勢でした。いい悪いは別にして、こんなこともまかり通っていたという事実を記しておけば、私の子ども達も、昔、父親がこんなことを言っていたと思い出してくれるかもしれません。ということで、蛇足ながら、こんなミニ体験談をつけ加えさせていただきます。